「行きましょう。上野にしますか。芋坂(いもざか)へ行って団子を食いましょうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奧さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます」と例によって秩序のない駄弁を揮(ふる)ってるうちに主人はもう帽子を被って沓脫(くつぬぎ)へ下りる。
吾輩はまた少々休養を要する。主人と多々良君が上野公園でどんな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、また尾行(びこう)する勇気もないからずっと略してその間(あいだ)休養せんければならん。休養は萬物の旻天(びんてん)から要求してしかるべき権利である。この世に生息すべき義務を有して蠢動(しゅんどう)する者は、生息の義務を果すために休養を得ねばならぬ。もし神ありて汝(なんじ)は働くために生れたり寢るために生れたるに非ずと雲わば吾輩はこれに答えて雲わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたり故に働くために休養を乞うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強漢(ぼくきょうかん)ですら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではないか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令(たとい)貓といえども主人以上に休養を要するは勿論の事である。ただ先刻(さっき)多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物(ぜいぶつ)のごとくに罵(ののし)ったのは少々気掛りである。とかく物象(ぶっしょう)にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉(わた)らんのは厄介である。何でも尻でも端折(はしょ)って、汗でも出さないと働らいていないように考えている。達磨(だるま)と雲う坊さんは足の腐るまで座禪をして澄ましていたと雲うが、仮令(たとい)壁の隙(すき)から蔦(つた)が這い込んで大師の眼口を塞(ふさ)ぐまで動かないにしろ、寢ているんでも死んでいるんでもない。頭の中は常に活動して、廓然無聖(かくねんむしょう)などと乙な理窟を考え込んでいる。儒家にも靜坐の工夫と雲うのがあるそうだ。これだって一室の中(うち)に閉居して安閑と躄(いざり)の修行をするのではない。脳中の活力は人一倍熾(さかん)に燃えている。ただ外見上は至極沈靜端粛の態(てい)であるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもって昏睡仮死(こんすいかし)の庸人(ようじん)と見做(みな)して無用の長物とか穀潰(ごくつぶ)しとか入らざる誹謗(ひぼう)の聲を立てるのである。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、――しかも彼(か)の多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎 (かんしけつ)同等に心得るのももっともだが、恨むらくは少しく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、淺薄なる三平君に一も二もなく同意して、貓鍋(ねこなべ)に故障を挾(さしはさ)む景色(けしき)のない事である。しかし一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑(けいべつ)するのも、あながち無理ではない。大聲は俚耳(りじ)に入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしの喩(たとえ)も古い昔からある事だ。形體以外の活動を見る能(あた)わざる者に向って己霊(これい)の光輝を見よと強(し)ゆるは、坊主に髪を結(い)えと逼(せま)るがごとく、鮪(まぐろ)に演説をして見ろと雲うがごとく、電鉄に脫線を要求するがごとく、主人に辭職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと雲うがごときものである。必竟(ひっきょう)無理な注文に過ぎん。しかしながら貓といえども社會的動物である。社會的動物である以上はいかに高く自(みずか)ら標置するとも、或る程度までは社會と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至(ないし)御(お)さん、三平連(づれ)が吾輩を吾輩相當に評価してくれんのは殘念ながら致し方がないとして、不明の結果皮を剝(は)いで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳に上(のぼ)すような無分別をやられては由々(ゆゆ)しき大事である。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆(しゃば)に出現したほどの古今來(ここんらい)の貓であれば、非常に大事な身體である。千金の子(し)は堂陲(どうすい)に坐せずとの諺(ことわざ)もある事なれば、好んで超邁(ちょうまい)を宗(そう)として、徒(いたず)らに吾身の危険を求むるのは単に自己の災(わざわい)なるのみならず、また大いに天意に背(そむ)く訳である。猛虎も動物園に入れば糞豚(ふんとん)の隣りに居を占め、鴻雁(こうがん)も鳥屋に生擒(いけど)らるれば雛鶏(すうけい)と俎(まないた)を同(おな)じゅうす。庸人(ようじん)と相互(あいご)する以上は下(くだ)って庸貓(ようびょう)と化せざるべからず。庸貓たらんとすれば鼠を捕(と)らざるべからず。――吾輩はとうとう鼠をとる事に極(き)めた。
せんだってじゅうから日本は露西亜(ロシア)と大戦爭をしているそうだ。吾輩は日本の貓だから無論日本贔負(びいき)である。出來得べくんば混成(こんせい)貓旅団(ねこりょだん)を組織して露西亜兵を引っ掻(か)いてやりたいと思うくらいである。かくまでに元気旺盛(おうせい)な吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寢ていても訳なく捕(と)れる。昔(むか)しある人當時有名な禪師に向って、どうしたら悟れましょうと聞いたら、貓が鼠を覘(ねら)うようにさしゃれと答えたそうだ。貓が鼠をとるようにとは、かくさえすれば外(は)ずれっこはござらぬと雲う意味である。女賢(さか)しゅうしてと雲う諺はあるが貓賢(さか)しゅうして鼠捕(と)り損(そこな)うと雲う格言はまだ無いはずだ。して見ればいかに賢(かし)こい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまい。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまい。今まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪(はなふぶき)が台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶(ておけ)の中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見える。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要がある。戦闘線は勿論(もちろん)あまり広かろうはずがない。畳數にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間である。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺(どうこ)がぴかぴかして、後(うし)ろは羽目板の間(ま)を二尺遺(のこ)して吾輩の鮑貝(あわびがい)の所在地である。茶の間に近き六尺は膳椀(ぜんわん)皿小鉢(さらこばち)を入れる戸棚となって狹(せま)き台所をいとど狹く仕切って、橫に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっている。その下に摺鉢(すりばち)が仰向(あおむ)けに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いている。大根卸し、摺小木(すりこぎ)が並んで懸(か)[#ルビの「か」は底本では「け」]けてある傍(かたわ)らに火消壺だけが悄然(しょうぜん)と控(ひか)えている。真黒になった樽木(たるき)の交叉した真中から一本の自在(じざい)を下ろして、先へは平たい大きな籠(かご)をかける。その籠が時々風に揺れて鷹揚(おうよう)に動いている。この籠は何のために釣るすのか、この家(うち)へ來たてには一向(いっこう)要領を得なかったが、貓の手の屆かぬためわざと食物をここへ入れると雲う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じた。