正文 四 - 9

「君は一生旅烏(たびがらす)かと思ってたら、いつの間(ま)にか舞い戻ったね。長生(ながいき)はしたいもんだな。どんな僥倖(ぎょうこう)に廻(めぐ)り合わんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に対しても主人に対するごとく毫(ごう)も遠慮と雲う事を知らぬ。いかに自炊の仲間でも十年も逢わなければ、何となく気のおけるものだが迷亭君に限って、そんな素振(そぶり)も見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのかちょっと見當がつかぬ。

「可哀そうに、そんなに馬鹿にしたものでもない」と鈴木君は當らず障(さわ)らずの返事はしたが、何となく落ちつきかねて、例の金鎖を神経的にいじっている。

「君電気鉄道へ乗ったか」と主人は突然鈴木君に対して奇問を発する。

「今日は諸君からひやかされに來たようなものだ。なんぼ田舎者だって――これでも街鉄(がいてつ)を六十株持ってるよ」

「そりゃ馬鹿に出來ないな。僕は八百八十八株半持っていたが、惜しい事に大方(おおかた)蟲が喰ってしまって、今じゃ半株ばかりしかない。もう少し早く君が東京へ出てくれば、蟲の喰わないところを十株ばかりやるところだったが惜しい事をした」

「相変らず口が悪るい。しかし冗談は冗談として、ああ雲う株は持ってて損はないよ、年々(ねんねん)高くなるばかりだから」

「そうだ仮令(たとい)半株だって千年も持ってるうちにゃ倉が三つくらい建つからな。君も僕もその辺にぬかりはない當世の才子だが、そこへ行くと苦沙彌などは憐れなものだ。株と雲えば大根の兄弟分くらいに考えているんだから」とまた羊羹(ようかん)をつまんで主人の方を見ると、主人も迷亭の食(く)い気(け)が伝染して自(おの)ずから菓子皿の方へ手が出る。世の中では萬事積極的のものが人から真似らるる権利を有している。

「株などはどうでも構わんが、僕は曾呂崎(そろさき)に一度でいいから電車へ乗らしてやりたかった」と主人は喰い欠けた羊羹の歯痕(はあと)を撫然(ぶぜん)として眺める。

「曾呂崎が電車へ乗ったら、乗るたんびに品川まで行ってしまうは、それよりやっぱり天然居士(てんねんこじ)で沢庵石(たくあんいし)へ彫(ほ)り付けられてる方が無事でいい」

「曾呂崎と雲えば死んだそうだな。気の毒だねえ、いい頭の男だったが惜しい事をした」と鈴木君が雲うと、迷亭は直(ただ)ちに引き受けて

「頭は善かったが、飯を焚(た)く事は一番下手だったぜ。曾呂崎の當番の時には、僕あいつでも外出をして蕎麥(そば)で凌(しの)いでいた」

「ほんとに曾呂崎の焚いた飯は焦(こ)げくさくって心(しん)があって僕も弱った。御負けに御菜(おかず)に必ず豆腐をなまで食わせるんだから、冷たくて食われやせん」と鈴木君も十年前の不平を記憶の底から喚(よ)び起す。

「苦沙彌はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩いっしょに汁粉(しるこ)を食いに出たが、その祟(たた)りで今じゃ慢性胃弱になって苦しんでいるんだ。実を雲うと苦沙彌の方が汁粉の數を余計食ってるから曾呂崎[#「曾呂崎」は底本では「曾兄崎」]より先へ死んで宜(い)い訳なんだ」

「そんな論理がどこの國にあるものか。俺の汁粉より君は運動と號して、毎晩竹刀(しない)を持って裏の卵塔婆(らんとうば)へ出て、石塔を叩(たた)いてるところを坊主に見つかって剣突(けんつく)を食ったじゃないか」と主人も負けぬ気になって迷亭の舊悪を曝(あば)く。

「アハハハそうそう坊主が仏様の頭を叩いては安眠の妨害になるからよしてくれって言ったっけ。しかし僕のは竹刀だが、この鈴木將軍のは手暴(てあら)だぜ。石塔と相撲をとって大小三個ばかり転がしてしまったんだから」

「あの時の坊主の怒り方は実に烈しかった。是非元のように起せと雲うから人足を傭(やと)うまで待ってくれと雲ったら人足じゃいかん懺悔(ざんげ)の意を表するためにあなたが自身で起さなくては仏の意に背(そむ)くと雲うんだからね」

「その時の君の風采(ふうさい)はなかったぜ、金巾(かなきん)のしゃつに越中褌(えっちゅうふんどし)で雨上りの水溜りの中でうんうん唸(うな)って……」

「それを君がすました顔で寫生するんだから苛(ひど)い。僕はあまり腹を立てた事のない男だが、あの時ばかりは失敬だと心(しん)から思ったよ。あの時の君の言草をまだ覚えているが君は知ってるか」

「十年前の言草なんか誰が覚えているものか、しかしあの石塔に帰泉院殿(きせんいんでん)黃鶴大居士(こうかくだいこじ)安永五年辰(たつ)正月と彫(ほ)ってあったのだけはいまだに記憶している。あの石塔は古雅に出來ていたよ。引き越す時に盜んで行きたかったくらいだ。実に美學上の原理に葉(かな)って、ゴシック趣味な石塔だった」と迷亭はまた好い加減な美學を振り廻す。

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