正文 四 - 3

「いや、まことに言語同斷(ごんごどうだん)で、ああ雲うのは必竟(ひっきょう)世間見ずの我儘(わがまま)から起るのだから、ちっと懲(こ)らしめのためにいじめてやるが好かろうと思って、少し當ってやったよ」

「なるほどそれでは大分(だいぶ)答えましたろう、全く本人のためにもなる事ですから」と御客さんはいかなる當り方か承(うけたまわ)らぬ先からすでに金田君に同意している。

「ところが鈴木さん、まあなんて頑固な男なんでしょう。學校へ出ても福地(ふくち)さんや、津木(つき)さんには口も利(き)かないんだそうです。恐れ入って黙っているのかと思ったらこの間は罪もない、宅(たく)の書生をステッキを持って追っ懸けたってんです――三十面(づら)さげて、よく、まあ、そんな馬鹿な真似が出來たもんじゃありませんか、全くやけで少し気が変になってるんですよ」

「へえどうしてまたそんな亂暴な事をやったんで……」とこれには、さすがの御客さんも少し不審を起したと見える。

「なあに、ただあの男の前を何とか雲って通ったんだそうです、すると、いきなり、ステッキを持って跣足(はだし)で飛び出して來たんだそうです。よしんば、ちっとやそっと、何か雲ったって小供じゃありませんか、髯面(ひげづら)の大僧(おおぞう)の癖にしかも教師じゃありませんか」

「さよう教師ですからな」と御客さんが雲うと、金田君も「教師だからな」と雲う。教師たる以上はいかなる侮辱を受けても木像のようにおとなしくしておらねばならぬとはこの三人の期せずして一致した論點と見える。

「それに、あの迷亭って男はよっぽどな酔興人(すいきょうじん)ですね。役にも立たない噓(うそ)八百を並べ立てて。私(わた)しゃあんな変梃(へんてこ)な人にゃ初めて逢いましたよ」

「ああ迷亭ですか、あいかわらず法螺(ほら)を吹くと見えますね。やはり苦沙彌の所で御逢いになったんですか。あれに掛っちゃたまりません。あれも昔(むか)し自炊の仲間でしたがあんまり人を馬鹿にするものですから能(よ)く喧嘩をしましたよ」

「誰だって怒りまさあね、あんなじゃ。そりゃ噓をつくのも宜(よ)うござんしょうさ、ね、義理が悪るいとか、ばつを合せなくっちゃあならないとか――そんな時には誰しも心にない事を雲うもんでさあ。しかしあの男のは吐(つ)かなくってすむのに矢鱈(やたら)に吐くんだから始末に了(お)えないじゃありませんか。何が欲しくって、あんな出鱈目(でたらめ)を――よくまあ、しらじらしく雲えると思いますよ」

「ごもっともで、全く道楽からくる噓だから困ります」

「せっかくあなた真面目に聞きに行った水島の事も滅茶滅茶(めちゃめちゃ)になってしまいました。私(わたし)ゃ剛腹(ごうはら)で忌々(いまいま)しくって――それでも義理は義理でさあ、人のうちへ物を聞きに行って知らん顔の半兵衛もあんまりですから、後(あと)で車夫にビールを一ダース持たせてやったんです。ところがあなたどうでしょう。こんなものを受取る理由がない、持って帰れって雲うんだそうで。いえ御禮だから、どうか御取り下さいって車夫が雲ったら――悪(に)くいじゃあありませんか、俺はジャムは毎日舐(な)めるがビールのような苦(にが)い者は飲んだ事がないって、ふいと奧へ這入(はい)ってしまったって――言い草に事を欠いて、まあどうでしょう、失禮じゃありませんか」

「そりゃ、ひどい」と御客さんも今度は本気に苛(ひど)いと感じたらしい。

「そこで今日わざわざ君を招いたのだがね」としばらく途切れて金田君の聲が聞える。「そんな馬鹿者は陰から、からかってさえいればすむようなものの、少々それでも困る事があるじゃて……」と鮪(まぐろ)の刺身を食う時のごとく禿頭(はげあたま)をぴちゃぴちゃ叩(たた)く。もっとも吾輩は椽(えん)の下にいるから実際叩いたか叩かないか見えようはずがないが、この禿頭の音は近來大分(だいぶ)聞馴れている。比丘尼(びくに)が木魚の音を聞き分けるごとく、椽の下からでも音さえたしかであればすぐ禿頭だなと出所(しゅっしょ)を鑑定する事が出來る。「そこでちょっと君を煩(わずら)わしたいと思ってな……」

「私に出來ます事なら何でも御遠慮なくどうか――今度東京勤務と雲う事になりましたのも全くいろいろ御心配を掛けた結果にほかならん訳でありますから」と御客さんは快よく金田君の依頼を承諾する。この口調(くちょう)で見るとこの御客さんはやはり金田君の世話になる人と見える。いやだんだん事件が面白く発展してくるな、今日はあまり天気が宜(い)いので、來る気もなしに來たのであるが、こう雲う好材料を得(え)ようとは全く思い掛(が)けなんだ。御彼岸(おひがん)にお寺詣(てらまい)りをして偶然方丈(ほうじょう)で牡丹餅(ぼたもち)の御馳走になるような者だ。金田君はどんな事を客人に依頼するかなと、椽の下から耳を澄して聞いている。

「あの苦沙彌と雲う変物(へんぶつ)が、どう雲う訳か水島に入(い)れ智慧(ぢえ)をするので、あの金田の娘を貰っては行(い)かんなどとほのめかすそうだ――なあ鼻子そうだな」

「ほのめかすどころじゃないんです。あんな奴の娘を貰う馬鹿がどこの國にあるものか、寒月君決して貰っちゃいかんよって雲うんです」

「あんな奴とは何だ失敬な、そんな亂暴な事を雲ったのか」

「雲ったどころじゃありません、ちゃんと車屋の神さんが知らせに來てくれたんです」

「鈴木君どうだい、御聞の通りの次第さ、隨分厄介だろうが?」

「困りますね、ほかの事と違って、こう雲う事には他人が妄(みだ)りに容喙(ようかい)するべきはずの者ではありませんからな。そのくらいな事はいかな苦沙彌でも心得ているはずですが。一體どうした訳なんでしょう」

「それでの、君は學生時代から苦沙彌と同宿をしていて、今はとにかく、昔は親密な間柄であったそうだから御依頼するのだが、君當人に逢ってな、よく利害を諭(さと)して見てくれんか。何か怒(おこ)っているかも知れんが、怒るのは向(むこう)が悪(わ)るいからで、先方がおとなしくしてさえいれば一身上の便宜も充分計ってやるし、気に障(さ)わるような事もやめてやる。しかし向が向ならこっちもこっちと雲う気になるからな――つまりそんな我(が)を張るのは當人の損だからな」

「ええ全くおっしゃる通り愚(ぐ)な抵抗をするのは本人の損になるばかりで何の益もない事ですから、善く申し聞けましょう」

「それから娘はいろいろと申し込もある事だから、必ず水島にやると極(き)める訳にも行かんが、だんだん聞いて見ると學問も人物も悪くもないようだから、もし當人が勉強して近い內に博士にでもなったらあるいはもらう事が出來るかも知れんくらいはそれとなくほのめかしても構わん」

「そう雲ってやったら當人も勵(はげ)みになって勉強する事でしょう。宜(よろ)しゅうございます」

「それから、あの妙な事だが――水島にも似合わん事だと思うが、あの変物(へんぶつ)の苦沙彌を先生先生と雲って苦沙彌の雲う事は大抵聞く様子だから困る。なにそりゃ何も水島に限る訳では無論ないのだから苦沙彌が何と雲って邪魔をしようと、わしの方は別に差支(さしつか)えもせんが……」

「水島さんが可哀そうですからね」と鼻子夫人が口を出す。

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