正文 二 - 16

「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと雲う顔付をして聞く。

「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入(はい)れないと雲う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が來てくれたら僕の義理も立つし、妻(さい)も満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に殘念な事をした。考え出すとあぶないところだったと今でも思うのさ」

語り了(おわ)った主人はようやく自分の義務をすましたような風をする。これで両人に対して顔が立つと雲う気かも知れん。

寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは殘念でしたな」と雲う。

迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な夫(おっと)を持った妻君は実に仕合せだな」と獨(ひと)り言(ごと)のようにいう。障子の蔭でエヘンと雲う細君の咳払(せきばら)いが聞える。

吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰(つぶ)すために強(し)いて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思った。吾輩の主人の我儘(わがまま)で偏狹(へんきょう)な事は前から承知していたが、平常(ふだん)は言葉數を使わないので何だか了解しかねる點があるように思われていた。その了解しかねる點に少しは恐しいと雲う感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽蔑(けいべつ)したくなった。かれはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になって愚(ぐ)にもつかぬ駄弁を弄(ろう)すれば何の所得があるだろう。エピクテタスにそんな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平(たいへい)の逸民(いつみん)で、彼等は糸瓜(へちま)のごとく風に吹かれて超然と澄(すま)し切っているようなものの、その実はやはり娑婆気(しゃばけ)もあり慾気(よくけ)もある。競爭の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒(ばとう)している俗骨共(ぞっこつども)と一つ穴の動物になるのは貓より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通(はんかつう)のごとく、文切(もんき)り形(がた)の厭味を帯びてないのはいささかの取(と)り得(え)でもあろう。

こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見て來(き)ようかと二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの庭口へ廻る。門松(かどまつ)注目飾(しめかざ)りはすでに取り払われて正月も早(は)や十日となったが、うららかな春日(はるび)は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面(おも)も元日の曙光(しょこう)を受けた時より鮮(あざや)かな活気を呈している。椽側に座蒲団(ざぶとん)が一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠さんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠さんは留守でも構わんが、三毛子は少しは宜(い)い方か、それが気掛りである。ひっそりして人の気合(けわい)もしないから、泥足のまま椽側(えんがわ)へ上(あが)って座蒲団の真中へ寢転(ねこ)ろんで見るといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寢をしていると、急に障子のうちで人聲がする。

「御苦労だった。出來たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。

「はい遅くなりまして、仏師屋(ぶっしや)へ參りましたらちょうど出來上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出來た、これで三毛も浮かばれましょう。金(きん)は剝(は)げる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位牌(いはい)よりも持つと申しておりました。……それから貓譽信女(みょうよしんにょ)の譽の字は崩(くず)した方が恰好(かっこう)がいいから少し劃(かく)を易(か)えたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」

三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チーン南無貓譽信女(なむみょうよしんにょ)、南無阿彌陀仏(なむあみだぶつ)南無阿彌陀仏と御師匠さんの聲がする。

「御前も迴向(えこう)をしておやりなさい」

チーン南無貓譽信女南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏と今度は下女の聲がする。吾輩は急に動悸(どうき)がして來た。座蒲団の上に立ったまま、木彫(きぼり)の貓のように眼も動かさない。

「ほんとに殘念な事を致しましたね。始めはちょいと風邪(かぜ)を引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一體あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様(ひとさま)の事を悪く雲うものではない。これも壽命(じゅみょう)だから」

三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。

「つまるところ表通りの教師のうちの野良貓(のらねこ)が無暗(むやみ)に誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜生(ちきしょう)が三毛のかたきでございますよ」

少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと唾(つば)を呑んで聞いている。話しはしばし途切(とぎ)れる。

「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは早死(はやじに)をするし。不器量な野良貓は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい貓は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人(ふたり)とはおりませんからね」

二匹と雲う代りに二(ふ)たりといった。下女の考えでは貓と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう雲えばこの下女の顔は吾等貓屬(ねこぞく)とはなはだ類似している。

「出來るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良(のら)が死ぬと御誂(おあつら)え通りに參ったんでございますがねえ」

御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと雲う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも雲えないが、先日あまり寒いので火消壺(ひけしつぼ)の中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上から蓋(ふた)をした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代(みがわ)りになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出來ないのなら、誰のためでも死にたくはない。

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